スマートフォンに生かされている僕は
つい2週間ほど前。
大学に向かう途中、大変なことに気づきました。スマートフォンを忘れたのです。
"終わり"です。とどのつまり終わりです。
そして家を出る前に充電しようとして、そのまま忘れて充電コードに挿しっぱなしだということも同時に気づき、電気代も終わりだということに気づかされました。
携帯を忘れた弊害が早速訪れました。時間がわかりません。
中学、高校と携帯の持ち込みが禁止だったのと、持ち物検査が割と多かったのもあり、腕時計を基本的につけていたのですが、スマートフォンを手にしてからというものあまり腕時計をつけなくなりました。
人間、現在時刻がわからないと焦ります。
今何時なんだ。
電車は後何分で来るのか。
とりあえず駅まで走ろう。
いや待て、スマホ取りに行くか?
でも遅刻するかもしれない。
今何時だろう?そうだ、スマホ忘れたんだ。
とりあえず走るしかない。
電車には普通に間に合いました。片道20分ほど、どうやって時間を潰すか考えました。いつもならパズドラをやっているところですが、僕はいい子なのでゼミで使う教本を読んでいました。
今日一日どうやって過ごすか。
スマートフォンがあれば、なんでもできます。ニュースも読めるし、友達と会話もできるし、ゲームもできるし、推しにも会えるし。
そんなスマートフォンがないのです。
大学生も三年目にさしかかり、授業時間が100分になって、日々忙しなく生きています。
100分頑張って、さあスマホを開こうとしてもスマホがない。忘れたんだった。こんな感じのことさっきもしたなあなんて思いました。
自分で自分が結構情けないです。スマホが無いと生きていけないことも、スマホを忘れたことも、こんな風に自分がアンビバレンスな気持ちであることも。
僕はスマートフォンに生かされている。そう実感しました。